あの足音が聞こえる

 

TDCホール。開演5分前のキャストアナウンスが流れて観客がざわつき、しばらくの待ち時間の後に足音が聞こえる。それは芝生の上を走るような自然音でも、体育館でシュートを決めるときの音でもない。コート上を駆け回る、キュッ キュッ という足音。音に混じるざらついた感触。そして軽快な打球音。それをきっかけに会場は暗闇に包まれてミュージカル テニスの王子様は始まる。心がどうしようもなく高まる瞬間。

 

初めて見たのは2016年。

3rdシーズン 青春学園VS聖ルドルフ学院 

 

たまたまテニプリ が再熱していて、そういえば先輩がテニミュ 好きだったなと思い出し、舞台が好きな友達も誘ってチケットを取ってもらった。

有名だし1回くらい見ておけばいいかなと思っていたが、結局その公演には6回行った。初めてテニミュを見た時の気持ちは今でも克明に思い出せる。

「楽しい」「美しい」

ただそれだけだった。若手俳優というカテゴリも2・5次元という括りも知らなかった。目の前でキャラクターが生きている。試合をしている。漫画やアニメで描ききれなかった葛藤や、観戦中の様子、歌詞に乗せて届くテニスに対する感情。どんな悩みを抱えていても吹き飛ばしてくれるくらいの青春が目の前にあった。

 

私は原作の展開を知っている。だからどっちが勝つか、どんな試合になるかも分かる。それでも見ている間は確かに神としての視点ではなくフラットな状態で応援する一人の人間となれるのだった。2・5次元舞台はよく茶番だとか、コスプレ運動会だとか言われる。確かに茶番もある。もっとテンポ良くできるでしょと思うこともある。演技だって、もっと上手い人を知っている。でも一番大切なのは楽しいことだ。その世界に没入させてくれて、今一緒に生きていることを感じさせてくれて、会場を出た後も幸せを持続させてくれることが重要なのだ。

 

「楽しい」という感情は原作でも重きを置かれた要素だ。主人公の越前リョーマはライバルとの戦いを経て成長し、ついに全国大会へと進む。最後に当たるのは強豪・立海大付属中。その中でも完全無欠のプレイヤー 神の子と称される少年・幸村精市だ。

幸村のテニスは完璧だった。どんな球も打ち返す。どこに打っても抜けない。神の子なんて仰々しい通り名に相応しいプレーだ。その結果、リョーマはこれまでにないほどの苦境に立たされてしまう。幸村に勝つビジョンが見えない。培ってきた戦術も通用しない。苦しい。つらい。助けて。

それを打ち破るのは楽しさだった。初めてラケットに触れたあの日。ボールを打ち返せた思い出。夢中で練習をしたのはテニスが楽しいから。楽しいから強くなりたい。楽しいから勝ちたい。そしてリョーマは復活し、幸村に勝利する。そんな展開だ(そんな展開だでまとめたけどテニプリは青春部活漫画でありながら超人テニス漫画としても有名なので二人の戦いを知りたい人は原作を読んでくれ~)

 

2/15 私は最後の本公演 全国立海公演 後編を見た。あの日、誘った友達も一緒だ。私たちは4年間ずっと3rdシーズンを追い続けたのだ。

絶対王者と呼ばれ、敗北を許さない立海。ひたむきに優勝を目指す、青学。試合は勝つための儀式に過ぎない幸村。強い相手と戦って上を目指すリョーマ。そしてこれまでにリョーマたちと戦ったライバル達。リョーマにテニスの楽しさを教えた父親・南次郎。4年間の全てが詰まった最後の公演。

しかし、始まれば最後だと思う悲しさをかき消して、心が震えた。私はこの物語を知っている。何度も読んだはずだ。立海が負けられない理由も、青学が築いてきた絆も、どんな風に試合が終わるかも分かっているはずだ。でも、まるで初めて見る試合のように美しい。この子たちの真っすぐな情熱がなだれ込んでくる。幸村君は、どうしてそんなに苦しそうにテニスをするの。リョーマ君、お願い負けないで。中学生のような気持ちでただ泣きながら舞台を見つめるしなかった。本物の時間だった。作り物ではない。生きている人間の、本当の人生だと思わせてくれる試合。幸村が優勢だった試合もこのセリフから一気に流れが変わる。

「テニスって楽しいじゃん!」

照明を浴びてそう叫ぶリョーマは確かに王子様だった。誰もが持ってるはずの楽しさを体全体で感じ、コートを縦横無尽に駆け回る少年。神様ではない、中学生の男の子。キラキラ輝くコート上の王子様。それを見守る、リョーマの父親・南次郎は言った。「お前らも最初から持ってるんだぜ。楽しいって気持ちを」

私は、テニスの王子様の最大の魅力は楽しさに着地する点だと思っている。何かを続けているといつの間にか忘れてしまう。勝つことが大切。技術が重要。あいつより上に行きたい。でもそれって、楽しいからそう思ったんだよねって。最初は全部楽しいから始まったんだよねって教えてくれる。ラスト曲や客降りも終わり、会場を出た私と友人はしばらく無言だった。そしてお互いに「楽しかったね」と言ったのだった。それだけだ。それだけで十分だ。

 

私は元々越前リョーマにそこまで興味があったわけではない。主人公をなかなか好きにならないことや、ライバル校が好きだったこともあって、リョーマに対して強いなぁすごいなぁくらいの感想を抱いていただけだ。それを変えてくれたのはテニミュだった。彼がどうして対戦相手を魅了するのか。あんなに先輩から可愛がられ、同級生から憧れの眼差しを向けられるのか。教えてくれたのは二人のキャストだ。

一人目は8代目・古田一紀。私が初めて見た越前リョーマ役の俳優だ。古田は最初とても生意気な子に映った。無愛想でぶっきらぼう容姿もリョーマからは離れたタイプだった。ちょっと生意気すぎない?と思うくらいに古田は自分の気持ちをあまり表さなかった。SNSでもなかなか自分のことは語らない。サメが好き、アニメが好きという情報くらい。淡々と演じる彼だったが、とにかく体力がすごかった。どれだけ走っても乱れない歌声に気が付いた時に少し古田のことが知りたくなった。古田が演じたのは氷帝まで。伊武、裕太、亜久津、日吉。個性あふれるライバルと戦う中で、あぁリョーマってこういう子だったんだ。こんなに努力家で、クールだけど時々可愛くて憎めない、もっと知りたくなる子なんだと思わせてくれた。

それはまるで生意気な後輩が少しずつ部活に馴染んでいって、素の自分を見せてくれるような経験だった。何かきっかけがあったわけではない。ただふと、この子はリョーマなんだと思った。魂が越前リョーマだった。声高に主張するのではなく、ただ演じる中で俺はここにいるよ 生きてるよと教えてくれたのが古田だった。

私は今でも古田のリョーマを思い出す。またね、と必ず言ってくれた。少し振り返って帽子で顔を隠しながら、でもはっきりとまたねと言ってくれた。「さよなら」じゃ冷たいし「バイバイ」も寂しいけど「またね」は違う。待っててくれると思う。また会いに来ていいよと言ってくれる優しさ。不器用で、多分かっこつけしいで、強くて、少しだけ優しい。そんな古田が、越前リョーマが大好きだって自信を持って言える。

 

二人目は9・10代目のリョーマ役だった阿久津仁愛(にちか)。これはきっと古田も感じたことだろうけど、前シーズンや前の公演で別の俳優が演じている時にどうしても〇〇くんじゃないのかぁ…と思ってしまう。にちかちゃんにも、それがあった。あと名前読めない…キラキラ系の子なのか…?という不安。にちかちゃんは容姿が美しく、年齢もリョーマに近かった。でも体力がなかったり、歌がなかなか安定しなかったり、見ているのが苦しくなる時もあった。特に歌はちょうど声変わりの時期だったのか歌いづらそうでハラハラしていた。その分、成長著しい部分も大きかった。公演を重ねるごとに、にちかちゃんはここが良くなってたねと話すのが恒例だった。体力がついてきて、身体も変化していって、声変わりを終えて歌も乱れることがなくなった。毎回毎回新しい喜びを教えてくれた。そして、昨日の立海公演。その背中は私が最初に見たものとは全然違ったのだ。

背が少し伸びて、体つきもがっしりしてきて、ちゃんと優勝するから見ててよとでも言いたげな自信満々の背中。それでいて全力でテニスを楽しんでいる、キラキラのオーラ。にちかちゃんは成長と楽しさを教えてくれた。次はどうなるんだろう、楽しみだな、また見たいなと思わせてくれる期待感。そして期待を裏切らない、打てば響く精神。立海公演のラストに、リョーマだけが客席に背を向けて他の選手全員が「越前!勝負だ!」と叫ぶシーンがある。リョーマはこちらに振り返り、まだまだだね!といつものセリフで応える。それが本当に綺麗で。ここまで見てきてよかった。私は熱心に通うファンではなかったけど、でも4年間の最後があなたたちで良かった。こんなに美しいものを見せてくれて、ありがとう。そう思って、たくさん泣いた。

 

二人のリョーマくん ありがとう。ライバル校も、代がいくつも変わった青学もみんなみんなありがとう。テニミュは、大人になってからできた私の青春です。

もう少ししたらドリームライブがある。それが終われば本当に3rdシーズンが終わってしまう。とっても悲しいけど、でもやっぱり最後まで楽しかったって言い続けられると思う。

飽き性な私が4年も通った。そしてこれからもきっと大切な思い出として残るだろう。目を閉じればあの足音が聞こえる。私を楽しい場所に連れて行ってくれる、コートを駆ける音が。

プリティーリズム オーロラドリームを完走した話

こんばんは。先日プリティーリズム オーロラドリーム 全51話を完走しました。

プリティーリズムとはキンプリ(KING OF PRISM)を含む一つの大きなシリーズです。キンプリ自体は応援上映を大きく普及させるきっかけとなっており、映画が公開された際には尻から蜂蜜が出る、プリズムのきらめきなどのインパクトのあるツイートが話題になることも多かったため、名前だけは知っている人もいるのではないでしょうか。

こういったレポート漫画を見かけることも多かったはず…。

 

オーロラドリームはプリティーリズムシリーズの中の第一作目に当たります。

シリーズ全体のコンセプトは、「プリズムショー」と呼ばれるダンスとアイススケートを融合した架空のスポーツを通してキャラクターの成長を見守るといったところでしょうか。プリズムショーは細かい部分は変わっていますが、どの作品にも共通するシリーズの核となっています。オーロラドリームではダンス・アイススケートに加えてコーデの要素も加わっているため衣装のバリエーションが豊富です。

 

そんなオーロラドリームは完全な女児向けアニメ。当時の放送時間は土曜日の午前11:00。おジャ魔女どれみプリキュアのような位置づけですね。主な視聴対象は女児のはずなのにどうして大人がハマってしまうのか…。詳しいことはこれから書いていきますが、大人が見ても入り込めるくらいストーリー性が強いからに他ならないと思っています。

 

◎オーロラドリームのあらすじ

おしゃれが大好き!でも、運動が苦手でおっちょこちょいなあいら

天真爛漫!抜群の運動神経でプリズムショーのレッスンに励むりずむ

孤高のスター!カリスマモデルでありながら華麗なプリズムショーも行うみおん

 

性格も特技もばらばらの三人が偶然出会い、プリズムショーを通して成長していく様子が描かれたサクセスストーリー。そして、三人の運命を左右するのは伝説のジャンプ「オーロラライジング」 

キャラクターの人生と伝説とまで呼ばれるジャンプの謎が交差し、物語は加速度的に面白くなっていく。友情、努力、勝利、そして恋。青春に必要な要素が全部ぶち込まれた、スポコン好き・少女漫画で育った・とにかく可愛い女の子が見たい…あらゆる人が楽しめるお話です。

キャッチコピーは「なりたい自分にプリズムジャンプ!」

 

◎オーロラドリームの構成

 オーロラドリームは全51話。放送期間にすると約1年です。

 ……長くないか? そう、女児向けアニメの最大の問題点は話数が多いこと。年齢を重ね、2クールアニメですらやっと見ている状態の大人が完走できるのかという疑問があるのではないでしょうか。私も最初はそう思っていました。特に女児アニメは導入部分が長く、1・2クールアニメにかけて物語の密度が上がるのが遅いです。それでもやっぱり最初から見て欲しい。最初から見るからこそ、物語には価値があるのだ…。だからどんな構成なのか書いていきますね。

 

1期:あいらとりずむの出会い~大会編

プリズムショーをやったことがないあいら、運動神経抜群のりずむ。偶然出会った二人はスカウトされて事務所に所属することに。コーチもついて練習漬けの毎日の中でも、恋におしゃれに大忙し。そして、ティアラカップという個人大会に出場することが決定。果たして二人は無事にショーが終えられるのか。優勝はどちらの手に?!

 

2期:みおんとの対面~ライバル登場編

日本から離れていたカリスマモデルみおんが事務所へ帰ってきた!しかしみおんの本性はあまりにも高飛車で、二人と打ち解けようとしない。デュオ大会への出場も決まったものの、あいらとりずむでどちらがみおんと組むのか争うことに。関係性が変化する中で強力なライバルも登場!勝敗の行方はどうなる?!

 

3期:MARs結成~謎の少女登場編

なんと三人でアイドルユニット「MARs」を結成することに。芸能界デビューをし、撮影に追われながら三人の仲は変化していく。ライバルとの競争、気になるあの人との距離感、アイドルとしての成長…様々なことに翻弄されながら臨むのはトリオ大会。そこへ現れた謎の少女。

大会の結果は?少女の正体は?!そして伝説のジャンプ「オーロラライジング」の謎へと迫り、物語も佳境へ…!!

 

4期:プリズムクイーンカップ~チームはいったん解散してそれぞれ頑張る編

MARsを一度休止し、三人はそれぞれ最大の大会「プリズムクイーンカップへの練習へと打ち込んでいく。

友情って、家族って、夢って、プリズムショーって、オーロラライジングって…結局私たちにとってなんなんだろう?これまでの謎を全て回収しながら描かれるのは三人が掴んだ疑問への答え。最終回のその先まで見たくなる!怒涛のラスト11話!!

 

ざっくり分けただけですがスポーツ漫画・アニメに似た構成になっているのが分かりますね。また衣装も豊富なため水着・浴衣・メイド服・着物・着ぐるみなど様々なコーデを見ることができます。ありがとう。オタクの夢を叶えてくれて。

少しでもオーロラドリームを見る足掛かりにしてもらえたら嬉しいです。

 

◎キャラクターの魅力

オーロラドリームの魅力はストーリーだけではありません。とにかくキャラクターが可愛い!ビジュアルも勿論ですが内面や言動、ショーへの姿勢など構成する全てが可愛くて仕方がない!簡単にですが、私が感じたキャラの可愛さを紹介します。

◎MARs

春音あいら

オシャレが大好きな14歳。運動音痴でおっちょこちょいだけど、聖母のように優しい心を持つ。顔が可愛すぎませんか?助けてください。

あいらちゃんはファッションセンスに優れ、お洋服の声が聞こえるという特殊能力を持っていますがそんなことある…??? チートでは??

他のキャラに比べるとあいらちゃんはどこにでもいる普通の女の子という性格が目立ちますが、持ち前の優しさとガッツで乗り切ります。プリズムショー初心者だった彼女の心技体全ての面での成長は必見です。特に聖母のように優しい心は物語でもかなり重要な一面になってきます。51話を走り抜いた時、きっとあなたはあいらちゃんに懺悔したくなる。

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画像引用元:©あにてれ:プリティーリズム・オーロラドリーム

 

天宮りずむ

天真爛漫な14歳。運動神経抜群で難易度の高いダンスもこなせる、パラメーターが運動方面に振り切れているタイプ。お察しの通り大食いです。キャラ付けが最高。

オーロラライジングに対する執着があり、ストーリーの根幹にも関わってきます。

りずむちゃんの魅力はその多面性にあります。元気な少女が前面に押し出されつつも彼女の人生には様々な問題が横たわっており、時に悩み、怒りそして悲しい選択をしてしまう時さえあります。しかしそれは全て彼女に内在された人間性であり、私たちは物語を通じて天宮りずむが歩んだ人生を知ることになるのです。

また、好きな人(ヒビキさん)と接する時の可愛さは凄まじく、いつの間にか二人の恋の行方に憑りつかれているはず。

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画像引用元:©あにてれ:プリティーリズム・オーロラドリーム

高峰みおん

カリスマモデルでありながらプリズムスター。孤高の14歳。愛称はみおん様

みおん様はその呼び名に違わずプロ意識もプライドも高い女の子です。ダンス・ファッションセンス・歌と何もかもレベルが高い。だからこそ序盤はあいら・りずむとの差が顕著に描かれています。

みおん様の最大の魅力は変化にあります。三人の中でも最も性格・行動共に変化が著しい。そして変わることにより、より美しくより新しくより高みへ上ることができる人です。美しいのに可愛くて、ツンデレだけど簡単にはデレない。万華鏡のようにキラキラと変化し続ける姿に、あなたもみおん様のファンになってしまうでしょう。

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 画像引用元:©あにてれ:プリティーリズム・オーロラドリーム

 

◎Callings

1話から登場するアイドル兼プリズムスター。全員16歳。なんか画像ガビガビじゃない?

 とにかくかっこいい。かっこいいんですよ。正統派アイドルといったところでしょうか。基本的に主役三人に関わる形で登場する役割になっていますが、心の成長を促すような立ち位置になることが多いです。やっぱり画像ガビガビじゃない??

 

ショウ(左)

あいらの想い人。優しいかと思いきやなかなかの問題児(10話参照)。その性格のめちゃくちゃさは続編ディアマイフューチャーまで引き継がれており、本当にあいらちゃんを任せていいのかという疑問が出てくるレベルだが不器用なだけという説もある。基本的には正統派王子様系アイドル。

ヒビキ(中央)

りずむの想い人。クールだが努力家でもある。ギャップのある男っていいよね。りずむに対して積極的に接し、彼女の心を解く役割を担う。セリフだけ聞けば乙女ゲームの攻略キャラかと言わんばかりにべたべたに甘いことを言う。声優はKENN。

ワタル(右)

ショタ系。みおん様に想いを寄せているらしいがなかなか相手にされない。しかし、みおん様の性格を理解した上でかける言葉や先読みした行動が彼女の悩みを解決することも多く、真の意味での理解者。人間が出来すぎている。

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 画像引用元:©あにてれ:プリティーリズム・オーロラドリーム

 

◎プリティートップ

メイン三人が所属する事務所の運営側。

ジュン(左)

マネージャー。顔が綺麗。ポエミーな発言で場を惑わすがその言葉は常に本質を突いている。

阿世知今日子(右)

どことなくアイドルマスター出身感を漂わせる社長。彼女の過去や抱えた思いが物語に大きく関わってくる。

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◎せれのん

関西から来た14歳のライバルコンビ。プリズムスターでもあるが漫才コンビを組んでおり、二人がメインの回もある。ボケとツッコミよろしくそれぞれ独立した強さを持つ反面、言葉にはしない絆を感じられる点も注目してほしい。

 左:セレナ 右:かのん

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 画像引用元:©あにてれ:プリティーリズム・オーロラドリーム

 

◎謎の少女

かなめ

オタクって謎の少女が好きだから(5・7・5)とにかく謎に包まれたロリキャラ。

人との距離感が近く、作中屈指の身体的接触率を誇る。人の匂いを嗅いで人格を判断する。まんがタイムきららから来たのか?

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主要キャラだけに絞りましたが、作中ではここには書ききれないくらいの魅力があります。オーロラドリームはキャラクター同士が一緒に成長していくシーンが多く、特にユニット内の友情・恋愛感情を中心とした心理描写が美しいです。次は恋と友情について書いていこうと思います。

 

◎恋と友情 そして心の飛躍

作中で頻出する言葉の一つに「プリズムジャンプは心の飛躍」というものがあります。実際のフィギュアスケートだとジャンプを飛ぶのに必要なのは技術や努力ですが、プリティーリズムシリーズでは本人の心の動きによって飛ぶことが出来ます。

心の飛躍のきっかけとして顕著に描かれるのは恋と友情です。

物語のメインとなる女の子三人と恋愛関係が描かれるのは男性アイドルCallings。

あいらとショウ。りずむとヒビキ。みおんとワタル。描かれる恋愛模様三者三様であり、恋心の形もアプローチの仕方も接し方も異なってきます。

例えばみおんとワタルは決して両想いとは言えない関係性が明示されていますが、二人の間にあるのは恋というよりも理解と信頼です。好きと言うだけが恋愛ではない。必要な時に必要な言葉をかけてあげられることもまた恋の一つの在り方で、その愛を受けた時に人がどういった飛躍をするのか。そういった必要不可欠なシーンが多いです。

ところで、恋愛もですが友情も難しいですよね。共通の話題で楽しく話すことだけが友情でしょうか。何も言わずに見守ったり、支えたり、怒ったり、離れたりすることもきっと友情なのだと思います。

オーロラドリームで描かれるのは多様的な友情。信頼して支え合うこと。自立して前を向くこと。時には争い、悲しい場面も描かれますがそれはひとえにキャラクターが本気でプリズムショーに向き合っているから生まれるのだと考えます。それが美しいプリズムジャンプへと繋がる。オーロラドリームは心の動きがショーの内容に直結し、51話かけて進化し続けた物語だと思っています。

 

◎家族の描き方

 プリティーリズムシリーズに共通するテーマでもあるのですが「家族」というバックボーンがキャラクター性に大きな影響を及ぼしています。

いわゆる「普通」とされている家庭――両親や兄弟がいて、愛されていて何不自由のない生活が送れる子。片親であり、母親との思い出が何一つなく母親に対するあこがれを強める子。両親がいてもなかなか会えず、寂しい思いを押し殺して過ごす子。そして親からの期待を背負い、自分の人生を失っていった子。

プリティーリズムシリーズが大人から愛される理由はこの家庭環境の描き方にあるのではないかと考えています。全員が肯定できる人生を送ってきたわけではない。そのためどれだけ親しくても嫉妬したり、比べてしまったり、結果的に関係性に亀裂が入ってしまうこともある。それでもその気持ちをなかったことにせずどう生きていくかを考える。オーロラドリームはご都合主義な部分も多いですが、現実の残酷性が反映された内容となっています。中にはそれを嫌がる人もいるかもしれませんが、虚構と現実を織り交ぜた物語は真実味が強く、心惹かれるものであることをお約束します。

また、より現実に即した背景を踏まえてアニメを楽しみたい方にはレインボーライブをおすすめします。オーロラドリームから独立した作品なので単体で見ても大丈夫です。

 

◎夢について

オーロラドリームのキャッチコピーは「なりたい自分にプリズムジャンプ」

なりたい自分って難しいですよね。大人になると、なりたい自分ではなくなれる自分を考えてしまいます。それは決して悪いことではなく自分の能力や容姿、立ち位置などを客観視出来た結果なのでしょう。だっていつまでも夢を見てるのはダセーって現実の大人はすぐに言うじゃないですか。全然お前の人生に関係ないのにな。

メイン三人の中でも主人公に当たるあいらちゃんは夢が明確に定まっていないキャラクターでした。始めは読者モデルになりたかった。それが、プリズムショーを経て夢が変わっていって視聴者も彼女自身も想像もつかない、なりたい自分を目指すことになります。

36話からあいらちゃんのセリフを引用します。

 

「最初はどんなことでもいいの。小さな夢とか目標を持って、それが頑張って出来た時に自信になる。そしたらその自信でそれよりももう少し大きな夢を持って、頑張ってみようと思える。そうするとどんどんたくさん夢が増えてきて、まるで宝探しみたいにワクワクして。心の中が新しい宝物でいっぱいになる。毎日がキラキラ輝いて見えるの」

「勿論楽しいことばっかりじゃなくて、辛いことも悲しいこともあったりするけど。それまでの手に入れた心の中の宝物が勇気になって、頑張らなきゃって思える。今日がダメでもまた明日。明日がダメでも明後日。きっと乗り越えられるって信じて頑張れる」

 

あいらちゃんは秀でた能力はあるものの、平均的な女の子として描かれます。

夢も目標も分からない。それが原因で悩むこともあります。しかし彼女が真の力を発揮するのは、その夢の在り方を模索する時です。夢は自分一人で掴まなくてもいい。誰かと一緒に夢を見たり、もうあきらめてしまった人の代わりに背負ったり…。様々な夢の形を私たちに見せてくれる存在。それが主人公:春音あいらだと思います。

私はオーロラドリームに、今はまだなりたい自分が分からなくてもいい。日々を過ごすうちにいつの間にか夢は手の中にあって、人生を生きることでそこに駆け上がることができる。そして夢は決して一つではなく、世界中に点在するものである。

そんな一種の許しのようなものを見出しました。

これは私の感想です。別の人生を送る誰かから見たら、もっと違った物語になるのだと思います。見る人によって無限の感想や解釈が生まれる。オーロラドリームはそんな多面的な物語なのだと感じました。

 

◎最後に

色々と書いてきましたが、オーロラドリームはあくまでも女児向けアニメです。

ご都合主義な部分もあります。主人公補正や、アニメ特有の運の良さ、恋も友情もこんなに上手くいくわけない。見ている中でそれらを感じることもあると思います。

しかし、子供向けな部分を差し置いても素晴らしいアニメです。

このアニメから何かを学んで欲しいだとか、教訓にしてほしいだとかそんなことは思いません。ただ見て欲しい。この物語を、みんなの人生を見届けてほしい。楽しいことも苦しいことも、幸せなことも、寂しいことも、全部全部この中には詰まっていて、私たちはただ見守ることしか出来ないけれどそれらを全うして先へ進もうとする子供たちを見つめていて欲しいです。

このブログがプリティーリズムシリーズを知るきっかけになれば幸いです。

 

プリティーリズムオーロラドリームの配信サイト

・U-NEXT (最初の1ヶ月は無料で視聴が可能です)

www.video.unext.jp

 

dアニメストア

anime.dmkt-sp.jp

 

ニコニコ動画

ch.nicovideo.jp

 

とっても楽しい51話でした。次はディアマイフューチャーだ!!!!

それでは。なりたい自分にプリズムジャンプ!!! またね~~!!

 

 

同人誌を作ること

一年に一回くらいのペースで同人誌を作っている。作り始めたきっかけは最悪で、嫌いなオタクに負けたくないからみたいなそんな理由だった気がする。本当に終わっているのでもうオタク友達を作らない方がいい。

 

同人誌、薄い本なんて呼ばれるそれを知ったのは小学生の時だったと思う。実際に買ったのは中学生の時。当時はイベントに行ったりできなかったからアニメイトでよく買っていた。田舎のアニメイトの同人誌コーナーの広さなんて微々たるもので、好きなジャンルの本が必ずしもあるわけではなく必死に探してやっと一冊買えるなんてこともざらだった。

もう二十代半ばを過ぎ、三十歳が近づいてきているので同人誌との付き合いも十年以上ということになる。作り始めてからは二年と少し。昔は自分が作り手側に回るなんて思いもしなかったけれど、憧れがあったのは確かだ。

げんしけんというオタクサークルの日常を描いた漫画がある。アニ研漫研からなんとなくあぶれてしまったぬるいオタク達が、恋をしたり語ったりゲームしたり喧嘩したりしながら大学卒業の期間を過ごしていくという内容だ。

その中でサークルのメンバーが同人誌を作る話があった。出展先はコミケ(作中ではコミフェスという名称だった)初めて同人誌を出すのにコミケってすげーなーって今なら思う。

ぬるいオタクの集まりで、性格も様々で、同人誌製作は難航していた。落としましょうなんて話になって、やる気のある荻上という女の子がもったいないですと言って泣いて、オタクではないのになぜかサークルにいるパンピーパンピーて)の咲ちゃんが叱りつけて製作が進んでいくという、作中の中でもかなり青春的な話だった。

その話を読んで以来同人誌いいなと思っていた。同時に自分はこんな仲間もいないし、作れないよなとも思っていた。

 

でも今個人サークルとして、何冊か作れてしまっている。

仲間がいなくても同人誌は作れる。つらいこともあるけれどイベントに出れば作った良かったなと強く感じる。

 

同人誌作りはとてもつらい趣味だ。自分が好きなジャンルで、好きなカップリングを書いてるのに何がつらいのかとも思うけれどつらいものはつらい。

物語を生み出して、それが読者に可能な限り伝わるように言葉を選んで、表紙を作ったり依頼したり、印刷所だって無数にある中から選び、どうか上手く刷ってほしいと信じて入稿する。黒字になることは全然ない。常に赤字だし、マイナーなカップリングなので売れるか不安だし、感想が貰えなかったらはちゃめちゃに悲しくて暴れたりする。

 

それでも作るのは、手に取ってくれる人がいるからだ。

机の向こう側から「新刊一部下さい」と言われることがどれだけ嬉しいか。ネット越しに通販ありますかと聞かれることがいかにありがたいか。その気持ちを一度知ってしまったので、私はもう同人誌を作る前には戻れないと思う。

私は決して文章もストーリーも上手くないけど、好きです いつも読んでますと言ってくれる人もいる。たったそれだけで書いていて良かったと思える。意味があったんだなと感じられる。意味があったってちゃんと分かりたいから書いているのかもしれないね。

 

多分私はこれからも苦しい思いをするし、二度と作らないって何回でも言うし、一冊も売れないかもしれないって泣くだろうけど同人誌を作ると思う。

でもいつか一時創作で出したいね。

 

それでは。

ライブに行った記録

こんにちは。2月ももう終わりですね。今月は2つのライブに行きました。

星野源のライブとお友達が所属するBalsamicosというバンドのライブです。

今回はその思い出と、ライブってなんだろうということについて書こうと思います。

 

2/3 星野源 ドームツアー「POP VIRUS」

当たりました。大阪会場だったので、大阪に遠征しました。遠征は初めてだったんですが、好きなもののためなら距離って全然関係ないんだなと改めて感じます。

星野源について書こうと思ったんですが、今更説明することって何もないですよね。

音楽と俳優とラジオパーソナリティーと文筆業をやっている可愛い男です。超人か???

彼のライブに行くのは数回目何ですが、今回は京セラドームということで会場も広かった!4万人動員したそうです。私はスタンド席にいました。ステージからは遠かったけど視界が開けていて見やすかったです。

 

セトリはこんな感じ

1.歌を歌うときは

2.Pop Virus 

3.地獄でなぜ悪い

4.Get a Feel

5.桜の森

6.肌

7.pair dancer

8.Present

9.サピエンス

10.ドラえもん

~休憩・ゲスト映像~

11.ばらばら

12.KIDS

13.プリン

14.くせのうた

15.化物

16.恋

17.SUN

18.アイデア

19.Week End

20.family song

 

アンコール

21.君は薔薇より美しい

21.時よ

23.Hello Song

 

こうして並べると23曲もやってくれたんだ…と思って感動します。

でも実は、前半の記憶があまりないです。これは恒例行事のようなもので毎回前半の記憶があやふやなんです。それは、彼がステージに上がった瞬間に泣いてしまうから。

「生きてる」「目の前にいる」「そこに立っている」っていうことは奇跡的なことなんですよ。特に彼は昔大病を患ったことがあるので、そこから復活して変わらず音楽活動を続けてくれていることが本当に嬉しい。生きているだけで価値があって、存在してるだけで十分なのに、何かを届けようとしてくれることが本当に幸せでその尊さを目の前にすると泣いてしまいます。泣いてしまいませんか??

 

構成

近年のライブ構成として目立つのが「ストーリー性がある」ということでした。

2016年ツアー「Yellow Voyage」は音楽の旅をテーマに置き、客を列車の乗客にたとえて物語が進んでいきました。2017年ツアー「Continues」は音楽の行く末を考えさせるような物語。どちらもナレーションとして声優さんが参加しており、物語の中に音楽があるという構成が印象的でした。

しかし今回はそれがなくて本人のMCと音楽のみ。これまでナレーションやセリフから入っていたので余計に衝撃が大きかったです。

イメージが一変したライブですが、結局本質は変わらないんだなと思った部分があります。確か、2曲目「POP VIRUS」が終わった後のことです(1曲目だったかも!!)

「ここからは好きに過ごしてください。何しててもいいです!」

その言葉で会場が一気に沸いたことを覚えています。

好きにする、何しててもいい、どんな形でも音楽を享受してくれていたらいい。星野源は、多分ずっとそういう風に音楽や色々なものをやってきたのだと思います。実際私はそういう自由であることを許してくれるような音楽や言動が好きです。

少し話は変わりますが、オールナイトニッポンが始まった時にこんなことを言っていました。

「これはあなたのラジオです。僕にメールも送れない、ツイッターにもいろいろ書けない。ただこのラジオを聞いているあなたに伝わってほしい。僕も昔、そうでした」

孤独にそれを受け取ることしかできない人を知っているからそういう言葉が出てきたんだろうなと思うし、他のコンテンツについてもそう考えているような気がします。

だから今回はストーリーを設けずに、自然に伝染していくvirusのようなライブにしたいと思ったのかなと勝手に解釈しています。でもストーリがあってもなくてもやっぱり楽しかった。バンドメンバーやスタッフも含めて、最高のエンターテイナーだ!!

 

曲について

 全部は書ききれないけど、特に好きだった曲について触れます。

地獄でなぜ悪い

私が一番好きな曲です。そして、辛かった時に救ってもらった曲でもあります。

ライブバージョンは少しテンポが速く、照明演出も合わさってめちゃくちゃかっこいい!!!歌詞がたまらん。「ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」ですよ。本当にそうだよな。あと、最後の「同じ地獄で待つ」の部分を待~つ~↑って上がり気味に歌ってくれるんですよね。それが好き。超好き。

ドラえもん

ドラえもんて。ドラえもんて!!!発表された時に爆笑しましたね。ドラえもんって曲名つける奴がいるかよって。でもやっぱりいい曲ですね。何者でもなくても世界を救おうって歌詞が好きです。子供も大勢来ていたので、サビの部分で一緒に歌えたりする曲は楽しいだろうなあと感じました。

・プリン

 絶対ライブでやるだろうと予想していた曲。生で見られただけでも嬉しい。

発売した際にプリンスの初期の曲のオマージュと言っていた気がします。不思議なビートっていうのかな。曲調が完全に異なる、珍しい曲です。この曲の特徴としては、途中で止まる部分があること。続きをベースのハマくんから始めなくちゃいけないのにそれをすっかり忘れていて源が指摘して演奏を始めるというザ・茶番的演出が楽しめる。

ライブでは空白の間にバンドメンバーが会話をしていて、ハマくんが怒ったり、ドラムのカースケさんが大暴れしたりとまるでレコーディング風景を見ているようなやり取りがなされていてもうひたすら笑った。星野源主体のステージだけど、バンドメンバーにもスポットが当たるのが本当に嬉しいです。

 

・Hello Song

最後にこの曲を持ってくるところが優しいよな~と思います。パラリンピックのCM曲として起用され、つい先日アルバムに収録されたファン待望の曲。

私はこれを地獄でなぜ悪いアンサーソングだと思っているので、ラストに持ってきたことでそのイメージが強まりました。

「僕たちは骸を越えてきた」

「いつかあなたに いつかあなたに出会う未来 ハローハローハローハロー」

「いつかあの日を いつかあの日を超える未来 ハローハローハローハロー 笑顔で会いましょう」

明るくて未来に向かっているのに少しだけつらい過去を感じさせる。でも、その過去を超えるために歩んでいる感覚が確かにある。星野源の人生の在り方のようで、同時に多くの人にも突き刺さる曲。

最後に客席に向かって手を振ってくれて「また会いましょう!!」と言ってくれました。だから多分また会えるんだと思います。絶対会うぞ!!!!生きよう、だからあなたも100歳まで生きてねと思えるライブでした。新曲もたくさんやってくれて本当に楽しかった。

あと、序盤で照明がステージから花道にかけて光の海を作って源がその中を歩きながら歌う演出があって完全に神様にしか見えなかった。神様なんだよ。

 

 

2/23  Balsamicos @北沢WAVE

 みなさんはライブハウスに行ったことはありますか?私は数えるほどしかありません。

多分これで3回目です。

Balsamicosは友人が所属しているバンドで、休止するとのことだったので思い切って見に行きました。下北沢っていつも工事してんな~とか、演劇色々やってんな~とかそんなことを思いながら会場へ。

実はコピーバンドを初めて見ました。名前は聞いたことあるけど、実際に見るのは初めてで、こういう風にやるんだという新しい感動みたいなものが自分の中に生まれました。でも、感動とか気取ってんじゃないよと自分に対して言いたい。

とにかくかっっっっっこよかった!!!!!!!!!もうそれだけ!!!!!!!

私は音楽を知りません。高校生ぐらいまではずっとアニソン、ニコニコ動画ブルーハーツ椎名林檎で育ちました。だから多くの音楽(人に比べたらずっと少ないだろうけど)を聞くようになったのは20歳を過ぎてからで、今でも知らない音楽はたくさんあります。

でも音楽を知らなくてもこのバンドがかっこいいことは分かる。全力でかっこいいをやろうとしていて、その感情とパフォーマンスが完全に一致していると思いました。

綺麗な正三角形みたいなバンドだなと感じました。全員が別々の方向に尖っているのに、集まることで調和がとれて美しく見える。私の目にはそんな三人に映りました。

 

技術に関しては全然分からないのですが、ここからは聴いた時の印象を書きますね。

・まずMCが上手い。いやまずそこかよっていう感じなんですけど、MCが上手いって会場を冷めさせない技術があるっていうことだと思います。だからずっと会場が騒がしくて、みんなが楽しそうで、端っこにいた私も楽しかったんですよね。

・ギターがすごい。ギターについてマジで何も分からないんですけど!!!

その人が弾いた瞬間に観客の気持ちが一瞬で昂ぶる。目が奪われる。感覚的にあぁこの人って特別なんだなって分かる。そういうギターでした。

私、ギターのりょーゆーさんが個人で作成された曲を聞いてライブを見に行こうと決断したので(この人があの曲を作ったんだ。本当にすごい人なんだ)ということを実感できたのがもう本当に嬉しくて貴重な体験でした。

該当の曲はこちらの「渚に涙」です

 

soundcloud.com

 

・ドラムの安心感。ステージが近い分、音もよく聞こえるし振動も伝わってくるじゃないですか。そういう中でドラムに対して安心感を覚えました。このバンドを仕切っているというか、精神的な主柱になっているようなイメージが浮かんでくる。そういう目に見えない安心感ですね…。違ったら申し訳ないんですが…。

あと、ドラムのしゅんぺーさんが銀河鉄道の夜を歌っていた際に声がすごく合っていて聞き入ってしまいました。めちゃめちゃ優しい声なんですよ…!!

銀河鉄道の夜は大人になってから知った曲ですが、どうしようもない夜によく聴いていた思い入れのある曲なので、誰かが演奏しているところを見られたのが嬉しかったです。

・スーツが似合う。ベースの技術とか全然分からないのでスーツについて書くぜ!!!!!

休止ライブでスーツを着るって、すごい漫画的でアツいパフォーマンスだと思います。

でもそれがちゃんと様になる。スーツ着てベース弾いてステージを降りる瞬間までかっこよくいられるのってすごくないですか??目の前で起きているのに、少し浮世離れしているっていうか、リアルなのにそこだけフィクションみたいな。そういうかっこよさを体現できる人ってやっぱり素晴らしいです。

 

今まで友達のバンドを見に行ったことは何回かあります。こんなことをいうのもおこがましいけど、遠いステージを眺めているような寂しい気持ちになることが多かったです。

でも、Balsamicosは私の気持ちまでちゃんと連れて行ってくれました。隅っこでどんな気持ちでいたらいいのか分からなかった私が、ただ立ってるだけじゃいられねぇ!!って揺れたりリズムに乗ったりできたことが自分の中でめちゃくちゃ嬉しかったし、楽しかったです。

途中で弦が切れてしまって演奏中断タイムがあったけど、その間も別に変な空気になることもなくてバンドが愛されていることが分かったのもすごく良かったです。

愛されているバンドはいいぞ!!!!

 

 ライブって何だろう

ライブって本物に出会うことだと思います。人間が目の前にいるんだから本質的にそういうものなのかもしれないけど。ステージに上がった瞬間に、音が鳴った途端に、その人が完全になるんです。

芸能人とか一般人とか関係なくみんな毎日生活をしている。嫌な仕事だってするし、嫌いな人に頭を下げなきゃいけなかったり、とにかく苦しい日々だってあると思います。星野源だって税金を払わなきゃいけないし、締め切りで苦しんだりすると思うんです。勿論楽しいことだってあるけど、苦しいことだってあるのが生活なので。もしかして生活って最悪ですか??

でもライブはそういうものが一切ない。苦しい部分、嫌な部分を除外した、その人が心の底からやりたいことをやっている心身共に満たされた完全な状態になる場所。

そしてその姿を見られる場所だと思います。完全なものはいいです。美しいから。

 

ステージから降りたらまた生活が始まるけど、もう一度そこに上がることができたなら人は完全になれるから。その輝かしい姿を見れる日を待ちながら、生きようと思います。

 

CCCプレイ後 雑記2  推しの話

推しの話していいですか?推しの話をしますね。

 

ロビンフッドとは

みなさんはロビンフッドを知っていますか?名前くらいは聞いたことがあると思います。シャーウッドの森に潜み、悪徳領主を倒して奪った富で村人を助けた義賊。イギリスの伝説的アウトローヒーロー。

コトバンクにも載ってます うれしいね

kotobank.jp

 

私の推し、Fateにおけるロビンフッドはこの英雄本人ではありません。彼曰くロビンフッドの中の一人だそうです。ロビンフッドの中の一人であって、ロビンフッド本人ではない。

彼は元来信仰の関係上迫害を受けていた青年でしたが、村を守りたいという思いから森に潜んで悪を討つ義賊となります。その行為を繰り返すうちに人々は彼をロビンフッドと呼ぶようになりました。その肩書を得た彼は元の名前を捨て、孤独に生きるロビンフッドとして若き人生を全うしました。

迫害を受けていたものの村の生活を愛し、しかし村人達からはその愛を無下にされてきた報われない男でした。もうwikiを見てくれ。wikiが全部だ。

typemoon.wiki.cre.jp

悲しすぎるでしょ。どうなってんの。私が村人だったら即結婚してましたよ。

何人もいた~は型月オリジナル設定ですが、当時の文献などでもロビンフッドが存在していた時期などにばらつきがあるため実際に複数人いた可能性もあるとは思います。

 

 

EXTRAにおけるロビンフッド

EXTRAでは2回戦の相手として登場します。マスターはダン・ブラックモアという名の老人なんですがこのダン卿がまた出来た人なんですよ。

ダン卿はかつてイングランド王国のために戦った騎士。狙撃手でありながら女王からサーの称号を賜った、それこそ国が認めた栄誉ある人です。かつては国のために汚い手段を使うこともありましたが、この戦いでは騎士として正々堂々闘うことを心掛け、敵に対しても敬意を払い、毎日のお祈りを欠かさず……といった風に主人公から見ても素晴らしい人なんですね。

だからロビンフッドからしたら雲の上のような存在なんです。 

「正統な英雄ではないのに」

「森に潜んで卑怯な手を使わなければ勝てなかったのに」

「正々堂々闘って負けさせるわけにはいかないのに」

作中でもそんな思いが見え隠れするやり取りが多かったです。どうして自分だったんだろう、どうして他の真っ当な英雄が選ばれなかったんだろう。自己否定気味な彼は、ダン卿から正々堂々闘うように命じられても卑怯な手を使って勝利を獲得しようと奔走しました。

1回戦では対戦相手を闇討ちしたような描写がされていましたし、主人公に対しても罠や禁じられていた奇襲を仕掛けてきました。そういった卑怯な手段はダン卿の手で改めて禁じられ、正々堂々闘うことを余儀なくされるのですがこの辺りでかなり不本意そうにしていたことからも、彼が正面から闘って負けることを恐れていたのがよく分かります。

どうしても勝たせてあげたかったんですよね。自分が尊敬するこの人を、先に進ませてあげたかった。願いを叶えさせてあげたかった。だから自分の手を汚してまでも戦おうとしたのに、全部封じられる。それは暗に「自分の矜持を優先しろ」と言われているようなものです。

 

ダン卿がロビンに言った言葉の中でとても好きなものがあります。

「これは国と国との戦いではない。人と人との戦いだ。畜生に落ちる必要は、もうないのだ」

ヤバくないですか。こんなに美しい救済があるかよ。これは自分自身にも向けた言葉でもあると思うのですが、本意に反した奇襲・卑怯なやり口を畜生に落ちると断言した上でもうそんな戦い方をして身を汚さなくていいと言っているんですよ。

ロビンはひねくれものなのでこう言われてもなお反発したんですが、内心どう感じていたのか想像がつきます。尊いってこういうことを言うんですね。

 

でも主人公が主人公である限り、二人が勝つことはありません。

得意としてきた汚い戦術は禁止されているし、迎え撃つのは皇帝だったり自分とよく似た誰かだったり傾国の狐だったりととにかく腹の立つ相手だし。

でも闘ってる時はすごく楽しそうでした。本当に楽しかったんだろうな、と思っています。勝つのが惜しくてわざと負けたりもしました。EXTRAでは7つの戦いがありましたが、2回戦は本当に特別な戦いです。

 

ロビンフッドがダン・ブラックモアからもらったもの

「そもそも戦いなんて上等なもん、オレにできるとは思わなかった。思えば、生前のオレゃあ、富も、名声も、友情も、平和も、たいていのものは手に入れたけどさ、それだけは、手に入れることができなかった。――だから、いいんだ。……最期に、どうしても手に入らなかったものを、掴ませてもらったさ――」

これは二人が消滅する際にロビンがダン卿に向けた言葉です。聞かせるつもりもないくらいの小声というモノローグが入っていたので、心からの本心なんでしょう。

どうしても手に入らなかったものは誇りなんだと思います。FGOに騎士の矜持という礼装があるのですが、まさにそれをもらったはずです。

正統なロビンフッドではなく彼が呼ばれた理由は分かりません。

騎士に憧れを抱いていたから呼ばれたのかもしれません。何かのために戦って大切なものを見失った者同士だったからかもしれません。弓兵と狙撃手という繋がりだけなのかもしれない。でも、誇りをもらったから全部良いんです。

もしかしたらもうとっくに自分の名前なんて思い出せなくなってしまったのかもしれないけれど、2回戦で戦っていたときだけは肩書のない自分に戻れていたらいいなと思います。

 

CCCにおけるロビンフッド

CCCでは敵であるBB側についたサーヴァントとして登場します。BB曰く、消滅する寸前の彼を拾って復元してあげたらしいのですが拾ってくれてありがとう以外の言葉が出てきません。

EXTRAだと皮肉屋で素直になれない毒舌家ですが、CCCだとかなりギャグっぽい面が強調されてますね。すごい圧力の水鉄砲で撃たれるわ、穴に落とされるわ、アーチャーさんの宝具って役に立ちませんよねとか言われるわ散々な扱いでした。もう地雷女に対する耐性が出来上がってるんだよなここで。素晴らしい順応力。

そんな扱いを受けながらもBBのボケにつっこんであげて、めんどくさがりなパッションリップの世話を焼いてあげる。仕事はきっちりこなすタイプっていう本当に都合のいい男だったんですよね。描写はされてなかったけど他にもいろいろやってそうな感じがしました。この辺りがFGOの世話焼き保護者系ポジションに繋がっているのかと思うと胸が熱くなります。

 

そんなギャグ一辺倒気味な彼にもシリアスなシーンはあります。

一度目は陰から主人公を助ける場面。二度目は危険を顧みずBBのデータを盗み、主人公に渡すシーンです。ここでは戦闘も発生するので、敵としての役割をこなしながらも主人公に想いを託すという名シーンです。この後消滅してしまうのも含めて。

「敗れたとはいえこれは旦那の戦いだった。…それをくだらねえ個人の欲でどうにかしていいもんじゃねえんだよ」

このセリフからダン卿に対する気持ちも感じ取れます。EXTRAを経て人を信じられるようになったロビンフッドが、CCCで主人公に自分の感情を託す。出番は限定されていましたが、彼の成長が伺える物語でもあったと思います。

CCCではギャグ・シリアス両方こなしながらも自分が大切にしていたものを手放そうとはしない、そういう立ち位置にいたのかなと考えています。

 

BBとロビンフッドの関係性

ダン卿とロビンはマスターとサーヴァントであると同時に、師弟のような祖父と孫のような上手く言葉にしがたい関係でした。これは人によって捉え方が異なると思いますので断言はできません。

ではBBとはどうだったのか。1周目では主従関係、雇用関係に過ぎないと考えていました。主人公に詳細データを渡して「これは旦那の戦いだった…」と言っていることもあり、どちらかといえば憎んでいるのかと考えていたのですが、2周目で考え方が大きく変わります。

こちらで語ったように2周目だとBBの目的と黒幕の正体が判明します。それに加えて、ロビンの行動も少し変化するんですね。上記のようにデータを渡して戦うところまでは同じですが、その後に「BBの詳細データ2」なるものを渡してきます。

わざわざ「本命はこっちでね。あいつが何より大切に隠していたものだよ」「他の誰でもない、おまえさんにだけ意味のあるものだ。……そこにきっと真実がある」なんて意味深なセリフまで残して消滅します。

この詳細データ2こそがBBの秘密。世界を敵に回してまで守りたかった大切な主人公との思い出。たった一人に対する純粋な好意。

憎い相手の詳細データを渡すところまでは分かります。だって倒してほしいから。

でもそんな思い出を本命だ、真実だと呼んで手渡す理由が憎いからなわけがない。彼の行いは引き出しの奥にしまった鍵付きの日記帳を引っ張り出して、好きな人に渡してこれ読んでおいてねって言うような、ある種のデリカシーのない行為にも見えます。

でもその日記帳に書かれたことがこれからの未来を変えてしまうようなことだったら?ずっと悪役だと思っていた女の子が、本当はただ一人を守りたいだけだったと知ったら?

主人公はきっと結末を変えるだろう。BBを救うために奔走するだろう。自分が接してきた彼ならそうしてくれるはず。そこまで信じて、データを渡したのなら、ロビンはBBに対して特別な感情を抱いていたのかもしれないと考えられます。

そうなるとこのセリフの意味も変わってくるんです。

「敗れたとはいえこれは旦那の戦いだった。…それをくだらねえ個人の欲でどうにかしていいもんじゃねえんだよ」

小さな村を守りたくて権力を敵に回したロビンが、ただ一人の人間を守りたくて世界を敵に回した女の子の気持ちを「個人の欲」と言い捨てるはずがありません。

くだらねえ個人の欲は「自分が気持ちよくなるためだけに神に上り詰めようとしている殺生院キアラ」のことを指していたのかもしれない。黒幕にも、真相にも気づいていたのかもしれない。あくまでも可能性の域を出ない考察ですが。

でもやっぱり、ただの青年だったから黒幕を討つことは出来なかったんだろうなぁとも思います。

 

ロビンフッドはBBを助けたかったか

私は、助けたかったんだと思っています。BBはその思い出を何よりも大切に隠していました。知られないように必死だったんです。つまり自分が悪人になっても良かったと考えていたのだと思います。

ロビンフッドはそんな風に生きた人でした。名前も顔も隠して、義賊という皮を被って人を殺しては村に明日を与える。村が一日でも存続するのなら自分は悪人になっても構わない。誰に褒められなくても、この功績が残らなくてもいいという考えの持ち主。

でもそれは虚勢に過ぎません。

本当は褒められたかった。称えられたかった。顔も名前も隠さないで、個人として日の当たる道を浴びたかった。だからこそダン・ブラックモアに憧れたのでしょう。真っ当な道を歩んでサーの称号までもらった彼を。

そんな憧れの人に「もう畜生に落ちる必要はない」と言ってもらえた。悪人にならなくてもいいと許してもらえた。ロビンは誰かに許される幸せを知ってしまったので、自分と同じ道を歩もうとしているBBを見ていられなかった。でも自分では救えないから、彼女が唯一好きな人である主人公に全部託した。

 

都合のいい解釈だと思います。でもこうだったらいい。

ダン・ブラックモアに救われたロビンフッドが秘密裏にBBを救う手助けをする。

悪を懲らしめて善を救うことを良しとした、義賊だった彼の精一杯の愛だったと信じたいです。本当ズルいポジションだよなぁ~~~~!!!!!!!!!

 

最後に

すごく長く語ってしまった。楽しかったです。

FGOでもBBちゃんとロビンの関係はあまり変わりません。でも、BBちゃんはその仕事ぶりを評価しているようですから、それも含めて彼のことをBBちゃんなりに愛していて欲しい。

それからBBちゃんは好きな相手を豚扱いすることで有名ですが、夏のイベントでは豚にされたくなかったら頑張って働いてくださいというようなことを言われていました。

かなり心許してませんか?ほぼ愛してると同義では?

これからもこういう話をどんどんやっていけたらいいな~。いつ飽きるのか分からないけど。とにかく楽しかったです。ありがとうございました。

 

 

Fate/EXTRA CCC プレイ後雑記

こんにちは。ブログというものを本当に久しぶりに書きます。

タイトルの通りCCCプレイ後の雑記です。

 

前置きとEXTRAについて

昨年夏。FGO内で行われたサバ・フェスなるイベントで、まんまとロビンフッドの魅力に当てられた私は悩んだ挙句彼の初出ゲームであるEXTRAを購入。これが9月のことです。

Fateは初代Deen版とZeroのアニメしか見たことがなかったので、私にとってEXTRAは初めて触れるFateのゲームでした。FGOはまた毛色が違うので除きます。

 

Fate/EXTRAというゲームはいわゆるRPGです。

どんな願いも叶える万能の願望器である「聖杯」を求めて戦うというのは他のシリーズと共通していますが、stay nightやZeroがバトルロワイヤル形式であったのと異なり、トーナメント性になっています。

サーヴァントと呼ばれる過去の英雄が実体化したものをパートナーとし二人一組で戦う。7回戦まで勝ち抜いた後に聖杯が与えられるという極めて単純なルールでした。

舞台は月に築かれた電脳空間という超SF設定ですが、学校内でのバトルかつ参加者の多くが生徒の様相をしているので学園ものとしての側面も楽しめましたね。

プレイヤーは主人公(マスター)を操作してサーヴァントと共に戦っていくのですが、この主人公は非常に自己投影しやすい作りになっています。ビジュアルは決められているものの、声の付いたセリフはありませんし趣味趣向も曖昧です。そのため、ゲーム内での人間関係や戦闘における勝敗がダイレクトに自分自身に伝わってきました。

 

EXTRAではトーナメント制を取っているため、負けた相手は消滅するというルールが課せられます。これは他のシリーズと違ってかなり残酷な部分だと思います。

主人公は聖杯にかける願いなんてありません。ただ生きたいから勝ち残る。

でも他のキャラクターは違うのです。

残したかった記録があった、矜持があった、信仰があった、使命があった、責務があった。自分よりも大切な思いを抱えた彼らを殺して主人公は勝ち進みます。

私は、EXTRAに対して「思いを引きずる物語」だったと感じました。

キャラクター越しであっても自分の手で人を、サーヴァントを殺す感覚はあまり気持ちのいいものではありません。だからこそ後味の悪さだったり、殺した分の相手の思いに引きずられながらより勝利に向けて努力するという仕組みが出来上がっていたと思います。

その分、深い絆で結ばれたキャラクターもいるのでバランスが良いゲームでした。サーヴァントや主人公の性別も選択できたりして、周回要素があるのも楽しいです。

 

 

CCCとは

CCCはEXTRAの続編です。こちらはダンジョン型RPG

あるバグが起こり聖杯戦争から逸脱した「月の裏側」へ連れ去られた主人公。同様に拉致されたメンバー達と事態を解決し、元の聖杯戦争へ帰還するというのが主な目的です。

前作同様サーヴァントがついてきてくれますが、内容の関係からも明確な味方・敵が用意されていました。

味方はEXTRAで戦ってきた参加者や健康管理AIの「桜」 

敵は「BB」と名乗る桜そっくりのAIやその傘下の者達

打倒BBを掲げ生徒会を結成するなど、かつての敵が仲間になって敵を倒すという王道展開を楽しむこともできます。

BBが作り出した迷宮を突破して、各章に配置されたボスを倒したり仲間にしたりしながらBBをやっつけよう!というまさに王道中の王道RPGなんです。

迷宮には勿論色々ギミックがあって、各章のボスが全員女性キャラクターであり彼女たちの秘密を獲得することで道が開けていくというギャルゲーチックな構成も。

ギャグ要素も多くて前作であんなに冷静だったあのキャラが…のような性格の変化も楽しめます。

 

 CCC1周目(※ここからネタバレ有)

CCCは周回必須のゲームです。1周目は上記にあるように、BBを倒すことでゲームクリアできます。また条件を満たすことで選んだサーヴァントと個別EDを迎えることも可能です。結婚できるキャラもいます。嬉しいですね。

 

1周目の雑感は「CCCは託される物語なのかもしれない」でした。

味方がいると書きましたが、味方が全員生き残るとは限らないのが物語のつらいところです。迷宮が深くなっていくほどに敵は強くなり、途中でBBとの決戦や危険な事態も多くありました。もうだめだと諦めてしまいそうになることだって何度も起こりました。

そんな時に身を挺して守ってくれるのが味方――かつての聖杯戦争で敵だった彼らだったのです。

 

ガトーという馬鹿がいました。あらゆる宗教を極めた彼は人生にはつらいことがあるが、それはただ間が悪かっただけなのだと結論を残して消えました。そんな呆れるような結論は、人生がつらくて引きこもってしまった女の子を救いました。

 

レオという男の子がいました。彼は理想の統治者になるために聖杯戦争に参加し、最強とまで言われましたがそれでもBBには及びませんでした。だから主人公に全てを託すと言って自分のスキルを受け渡して退場しました。

 

ユリウスという青年がいました。彼は弟であるレオのためだけに生きてきた孤独な男でしたが、EXTRAで主人公と友情を誓い合いました。それは本当に些細な一瞬の出来事でしたが、ユリウスは友人のためにと命を落としました。

 

シンジという少年がいました。彼はプライドが高く、記録に固執した子供でした。しかし、それほど欲しかった記録は何一つとして残せませんでした。

そんな彼が最後に縋ったのは記憶。自分のことを思い出してくれる誰か。

主人公ならきっと自分のことを忘れないだろう、自分のために泣いてくれるだろう。だったら「仕方ないけど」ここで犠牲になると主人公を守りました。最期まで誇り高い少年でした。

 

特筆すべきはこの四人でしたが、様々な人・サーヴァント・NPC達があらゆる形で主人公に想いを託してくれました。前作では引きずるしかできなかった想いを、ちゃんと受け取って敵を倒す。

CCCはまた別の物語ではあるのですが、地続きになっている部分が多く主人公や周囲の変化が如実に感じられる感動がありました。

しかしものすごくポエミーに書いてしまって読み返すのきついだろうなと考えています。

 

CCC2周目

CCCは周回をすることで『CCCルート』なる別ルートが発生しそのEDに辿り着くことで物語の真相が分かる構成になっています。やり込み要素が半端ない。どうなってるんだ型月。ありがとう型月。型月のことはよく知らないけど大好きになってしまいます。

 

基本的には1周目と同じ目的で話は進んでいくのですが、このルートでキーになるのが「桜」の存在。桜はEXTRAから存在している健康管理AIで、前作では物資の支給や緊急救護といった事務的な役割しか見られませんでした。会話もほとんどなかったです。

しかし今作では積極的に主人公周辺のサポートを行い、選択肢によっては二人きりで話す時間も設けられます。勿論この選択肢がCCCルート発展へとつながります。

一緒に過ごす中で桜自身も成長していく。AIは学習するものですが、桜のそれはどう見ても人間の心が芽生えていくよう。主人公は桜を気遣ったり、共に過ごす中で桜に対する特別な感情を意識していくのです。

そして、同時になぜBBは自分たちを連れ去ったのか?BBの真の目的は?などの疑問が生まれていきます。

BBは桜とそっくりなAIなのですが、桜は同型機と説明していました。しかし実際は桜のバックアップだったことが判明します。つまり元は同じ桜なのです。

同じはずなのに敵になってしまった。同じ見た目で異なる言動、聖杯戦争への帰還に対する妨害。

 

そこにはBBだけが持つ記憶が関係していました。

 BBが隠していたのは「主人公との思い出」「主人公への明確な好意」

それは元々桜が生み出したものですが、AIである桜にとってそれは余計なものでした。忘れないと、なかったことにしないとバグを抱えていると認識されて運営に消されてしまう。でもどうしても消したくなかった桜はバックアップである自分に移行して、自分自身はその記憶を消しました。

思い出と好意を与えられたバックアップの桜は暴走を始めます。主人公を守りたい。大好きだから聖杯戦争なんて場所に戻したくない。だったら、連れ去って安全な場所に隔離してしまえばいい。

バックアップの桜は「BB」として力をつけて主人公を守るために全ての行動を開始したのです。それが、主人公たちが月の裏側へ連れ去られた理由でした。

この辺りのBBちゃんの心境は主題歌のサクラメイキュウそのままですね。良い歌です。

 

そして、ただのAIがそんな風に自意識を持つようになるのにはきっかけがありました。

きっかけを作って自意識を認識させ、BBを暴走させるように仕向けた人間こそが黒幕だったりしたのですがその辺りは割愛します。

 

結末としては真の黒幕を倒し、桜と結ばれてハッピーエンドです。

桜を選んだため1周目で個別EDを迎えたサーヴァントとは別れを迎えてしまいます。

この別れもまたつらいんですよね。だって前作からずっと一緒に戦ってきたのに、一緒にいられないんですよ。しかも向こうは精一杯の強がりで送り出してくれる。

想いを託されるどころじゃない。ほとんど呪いにも近い別れなのに、あんまり力いっぱい背中を押してくれるので振り返ることすらできないくらい。

そしてBBのことも一緒に救おうとするのですが、彼女もまた主人公を守って消えてしまうのです。いっそ全員選ばせてほしい。悔しいですよ。目の前にいる女の子一人助けられないで去っていくことしかできないというのは。

最期に名前を呼んであげたかった。抱きしめてあげたかった。と後悔した人も大丈夫。

CCCルートを終えた後にはBBちゃんおまけモードが発生し、彼女と二人だけの空間が展開されます。福利厚生がしっかりしすぎて逆に怖くなってきますね。

 

CCCはどんな物語だったのか?

2周目で真相を知ると、このゲームに対する価値観が変わります。

「これは愛を知るための物語」だと私は感じました。

1周目では主人公の視点から敵を倒すRPGでありながら、パートナーとの絆を育むことができる。(これは選んだサーヴァントにもよるとは思いますが…)

そこに恋が生まれても、生まれなくても確かに愛があると思います。例えば親愛や、友愛、敬愛と呼ばれるものです。それは他のキャラクターにも適用されます。

誰かのことを信頼して命や願いを託すなんて愛がなくてはできないからです。

 

 2周目では更に様々な愛の形を知ります。

桜がBBに預けた「秘められた愛」 

敵として登場したアルターエゴの「一方的な愛」そしてその結末

黒幕であるキアラの「人類愛」またの名を「自己愛」

(キアラに関しては私が語るよりもwikiを読んだ方がずっとよくわかると思いますので貼っておきます)

typemoon.wiki.cre.jp

 

様々な愛がありました。成立したものも破れたものも、全て含めてやっぱり美しくて同時に汚くてそれでいて一つ一つ形が違う。愛は、全部が全部特注品なのだと思います。

だからキアラが欲しがったのも当然です。それらを浴びて暮らせたらきっと幸せだけど、愛を消費して幸せを感じられるならもう人間とは呼べない。

そして人間じゃなくなったキアラに恋をしたのは、人間嫌いのアンデルセンだけだった。

このキアラとアンデルセンの結末は戻るべき道を戻らないと見られないのですが、とてつもなく綺麗なオチだったと思います。敵にもしっかり花を持たせる終わり方が好きなので、つい放心してしまいました。

 

CCCは一貫してアンデルセンがナレーションを務めます(一部例外もありますが)

終わってみると、アンデルセンがキアラのためだけに綴ろうとした物語だったのかなとも思いました。駄作だったのか名作だったのか、読者の手に委ねられるものですが、私はオチが良ければ名作だと思っているのでやっぱり名作なんだと思います。

 

 何よりも、これは桜という一つのAIが愛を知って一人の人間になる物語でもあるのです(これは比喩でなく桜は少しだけズルをして、本当の人間になります)

 

 最後に

長くなってしまいましたが、EXTRAもCCCもすごく楽しかったです。特にCCCでは前作で面倒だったレベル上げに関する問題などが改善されていてシステム的にも快適でした。衣装も増えたし。

CCCまで終えて強く感じることは、全員可愛いということです。全員の悪い面もいい面も見せた上でキャラクターの魅力を引き出してくれたゲームは本当に久しぶりにプレイしました。もっとこのキャラのことを知りたいと思った時点で退場してしまったりするのも心惹かれる演出で……聖杯戦争関係なく全員と仲良くなれて遊んだりできるゲームを出してほしいです。

あとEXTRAは全サーヴァントクリアしましたが、CCCはセイバーでしかプレイしていないのでこれから他のキャラでもプレイしていきたいです。

 

終わりに。

FGOでCCCコラボイベントが行われた際に、賛否両論あったことも知っています。当時はプレイしてなくて内容もネタバレを見たわけではないので詳しく知っているわけではないですが、今ならそのキツさとかがはっきり感じられるのかもしれません。

キアラさん実装されてるし。最悪な女ですよ本当に。私は最悪な女が大好きなので嬉しいですが…。

FGOに出てくる中には月での思い出を忘れてしまったサーヴァントもいると思います。BBちゃんと、メルトもリップもマスターが変われば性格だって多少変わってしまっているのかもしれません。そもそも存在理由がよく分からなくなるし。

でもまた復刻してくれるなら楽しみにしています。とにかくそばにいてほしいという気持ちがあるので…。そこから新しい人間関係が生まれて、変化していくならやっぱり楽しみです。

 

それでは。

 

 推しの話も書きました。良かったら。

omochi-1301.hatenablog.com